第九十五段 親とこども
旅行の計画が着々と進んでいます。
出発まで10日となり、チケットも届きました。
本日母に電話をしました。
私「どこか行きたいところある?」
母「連れて行ってくれるところならどこでもいい」
私「新撰組関係を多く回りたいんだけれど、いい?」
母「それは嫌だよ」
絶句。
私「じゃあ、どこがいい?」
母「だって知らないもん」
私「テレビ見ていて行きたいと思ったところないの?」
母「ない」
ふたたび、絶句。
行き先はあなたに任せます。
でもあなたの行きたい新撰組は嫌です。
は、あまりに難しいプランなんじゃないでしょうか。
あとですね。
母「いろいろ話したいことがあるから」
私「なにを?」
母「おかあさんの老後のこと」
私「・・・(無言)」
母「おかあさんは死ぬ前に、この家であんたと暮らしたいの」
私「仕事はどうするの?」
母「だからそれを話し合うの」
みたび、絶句。
私「それはお正月にお兄ちゃんたちと話そうね」
母「その前に大筋を決めておかないと」
私「だからそれをするとお兄ちゃんすねちゃうからね」
母「おかあさん、あんたと暮らしたいもん。
あたりまえじゃん」
沈没しました。
儒教では親の言うことは絶対だと言います。
しかしながら「老いては子に従え」ということわざもあります。
でも、誰が老後の面倒を見るのか話し合おうねと言っている前に
母「おかあさん、あんたと暮らしたいもん。あたりまえじゃん」
と言い放ったら、兄の立場がないでしょう。
話し合いの前に結論出ていますから。
「親の介護をするのが嫌」と言うわけではありません。
「仕事を辞めてどうやって生活していくのか」とか
(おかあさんの年金があるから働かなくていい、と申してます)
「母が亡くなった後、私はどうやって生活していくのか」とか
少しは考えていてくれているのかなあ、と思いました。
共依存の親子で、それが当たり前だと思っているから、簡単にそういう言葉が出てくるのでしょう。
もう少し言葉を選んでくれたらな、と思うとともに、この血を強く受け継いでいるのだから、私も言葉に気をつけようと心から思いました。
私が「少し前まで自死を考えていた」とか「これから先の生き甲斐がない」とか「生きていたいとあまり思っていない」とか考えていることは、全く眼中にないんでしょうね。
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